犬の前十字靭帯断裂に対してTPLOという術式が普及するようになった約20年前、それ以前の治療のスタンダードは、関節外法という手術方法でした。
関節外法は、人工の繊維などを用いて膝関節の外側から関節の動きを制限し、前十字靭帯断裂によって生じた膝の不安定性を補う方法です。
その後、大型犬を中心にTPLOが普及し、「大型犬はTPLO、小型犬は関節外法」という時代を経て、今から10数年前には小型犬用のTPLOプレートも登場しました。
現在では、犬の前十字靭帯断裂に対してTPLOが第一選択となるケースも多く、「前十字靭帯断裂=TPLO」というイメージを持つ方も少なくないと思います。
しかし、本当にすべてのコに手術が必要なのでしょうか?
この記事では、普段あまり取り上げられることのない、犬の前十字靭帯断裂後に手術をしなかった場合、実際にどのような経過をたどるのかについて、当院で保存療法を選択した症例を交えながらご紹介します。
目次
- 前十字靭帯断裂と手術に関する考察
- 保存療法が向いているコ、向いていないコ
- 実際の症例|手術をしなかった犬はどうなった⁇
- 保存療法で大切なこと
- 前十字靭帯断裂は自然に治るの?
- どんな場合に手術を検討するのか?
- 前十字靭帯断裂=TPLO、ではありません
- まとめ
- 付録:OAについて
前十字靭帯断裂と手術に関する考察
前十字靭帯断裂時に手術しないとどうなる?
まず結論からお伝えすると、前十字靭帯が断裂しても、手術をしなくても歩けるようになることがあります。
ただし、残念ながら「正常な膝関節に戻る」という意味ではありません。
前十字靭帯断裂後に生じる膝の不安定性のために、様々な程度の跛行が残り、不安定の継続によって、時間の経過とともに変形性関節症(OA)という病態へと進行してしまいます。(後述)
そのため、手術をしない選択をする場合には、
- 年齢
- 性格や活動性
- 散歩や遊びのスタイル
- 住環境
- 階段やソファなどの段差の有無
- 半月板損傷の程度
- 現在のOAの状態
などを総合的に考え、そのコそのコが、これからどのような生活を送るのかを踏まえて治療方法を選択する必要があります。
前十字靭帯断裂時に膝の中で起こっている事
前十字靭帯は、膝関節を安定させるために非常に重要な靭帯です。
そのため、断裂すると膝関節が不安定になり、関節内に通常より大きな負荷がかかるようになります。
関節は、日常生活の中でも常に負荷を受けています。一方で、体には損傷した組織を修復する力があります。
健康な関節では、この「負荷」と「修復」のバランスが保たれています。
しかし、前十字靭帯が断裂すると、膝の不安定性によって関節への負荷が持続的に増加する事で、このバランスが崩れます。
つまり、
前十字靭帯断裂
↓
膝関節の不安定性
↓
関節への負荷の増加
↓
慢性的な炎症や関節組織の損傷
↓
修復作業が追い付かない
↓
変形性関節症(OA)(OAに関しては後述)
という変化が起こります。
手術をすればOAは防げる?
では、手術をすればOAを完全に防ぐことができるのでしょうか。
答えは、残念ながら「NO」です。
手術によって、前十字靭帯断裂時に発生する膝関節の不安定性を大きく改善することはできます。
しかし、手術によって生体が本来持っている正常な関節構造を完全に再現できるわけではありません。そのため、「負荷」と「修復」のバランスも完全には正常化させることができません。
従って、手術の目的はOAを完全に防ぐことではなく、膝関節をできるだけ安定させることで、OAの進行をできるだけ遅らせることにあります。
手術をしなければOAは進み続ける?
ここも非常に重要なポイントです。
「手術をしなければ、OAが進みたい放題に進んでしまう」と思われるかもしれません。
しかし、実際にはそうではありません。
体には、前十字靭帯断裂によって生じた膝の不安定性を、ある程度補おうとする仕組みがあります。
その方法とは線維化です。
線維化とは、慢性的な炎症などに伴って、組織内にコラーゲンなどの線維組織が増え、組織が硬くなる現象です。
例えば、突き指を繰り返した指が太くなり、曲げ伸ばしが悪くなることがあります。
これは、柔軟性を失う一方で、関節の安定性が高くなった状態とも考えることができます。
実際の前十字靭帯断裂症例においても、手術をしなかったコ達の経過を見ていると、時間の経過とともにグラグラだった膝関節が、線維化によってある程度固まってきます。条件を満たせば、ある程度固まる事で再び正常な生活に戻れるコがいます。
つまり、
手術による安定化と体自身が線維化によって行う安定化
は、方法は異なりますが、どちらも「膝関節を安定させる」という点では共通しています。
もちろん、手術による安定化と自然な線維化による安定化の程度は同じものではありません。
一般的には、手術によって得られる安定性の方が遥かに高く、より高い活動性が求められる膝関節では手術が適していると考えられます。
一方で、必要とされる膝の安定性がそれほど高くない生活を送っている場合、保存療法によって得られる安定性でも、十分に生活できる場合があります。
保存療法が向いているコ、向いていないコ
保存療法を選択する場合に重要なのは、「そのコの生活に、どの程度の膝の安定性が必要なのか」ということです。
例えば、毎日リードをつけてゆっくり散歩する高齢のコと、ドッグランで全力疾走する若いコでは、膝に求められる安定性は大きく異なります。
保存療法が向いているとコ
- 高齢で、穏やかな動きが主体
- リードをつけた散歩が中心
- ダッシュや激しい遊びをほとんどしない
- 生活空間に階段や大きな段差が少ない
- 半月板損傷が重度ではない場合
保存療法が向いていないとコ
- 若く、活動性が高い
- ドッグランなどで全力疾走する機会が多い
- アジリティーなど、膝に大きな負荷がかかる運動をする
- 重度の半月板損傷を伴っている
- 保存療法による安定化が期待しにくい基礎疾患を有する
- 保存療法を選択して2ヵ月経過しても改善しない
特に大型犬では、体重によって膝にかかる負荷が大きくなるため、保存療法だけでは十分な安定性が得られないケースもあります。
ただし、大型犬だから必ず手術、小型犬だから保存療法が可能、という単純なものではありません。
重要なのは、体格だけではなく、実際にどのような生活をしていて、どの程度の安定性が膝に必要なのかを治療方法の決定の際に吟味してあげる事であると考えられます。
実際の症例|手術をしなかった犬はどうなった⁇
ここでは、当院で前十字靭帯断裂に対して手術を選択せずに、保存療法を選択した例をご紹介します。
上の動画の大型犬(ソラくん)は、前十字靭帯断裂に対して保存療法を行い、治療終了から3年以上が経過しています。
下の動画の小型犬(ユララちゃん)は、保存療法を開始してから数か月の時点での様子です。
二人とも高齢ですが、日々の生活を大きく制限することなく、それぞれの生活を楽しむことができています。
保存療法の選択は、大型犬、小型犬など体格は問わず、実際の生活を熟慮して行う必要があります。保存療法が適応となった場合、十分な効果が期待できる事が多いです。しかしながら、充分な効果が得られない場合もまた多くあります。効果が不十分であった場合で、後から外科の選択をする事も可能です。
保存療法で大切なこと
保存療法では、膝にかかる負荷をできるだけ減らしながら、痛みや炎症を管理し、体が作り出す自然な安定化を待ちます。
急性期
- 必要に応じて包帯などによる固定
- レーザー治療などによる疼痛・炎症管理
- 痛みがある場合には鎮痛治療
- 1~2か月程度の運動制限
慢性期
発症から1~2か月程度が経過し、痛みや跛行が落ち着いてきたら、状態を確認しながら徐々に日常的な運動を再開します。
- 適度な散歩
- 体重管理
- 必要に応じた鎮痛・抗炎症治療
- 状態に応じたリハビリテーション
- OAの進行が認められた場合の治療
前十字靭帯断裂は自然に治るの?
残念ながら、一度断裂した前十字靭帯が元の状態に戻ることはありません。
手術でも保存療法でも目指すのは、断裂した靭帯を再生させることではなく、術式や線維化などによる膝関節の安定化であり、それによる痛みや跛行のコントロール、OA進行速度の軽減です。
違いは安定化力です。安定化力においては手術に大きなメリットがあるため、繰り返しにはなりますが、その程度の安定化が必要なのかを、そのコそのコで考えてあげる事が大切です。
どんな場合に手術を検討するのか?
~当院の考え~
2026年現在、犬の前十字靭帯断裂に対して、手術適応の標準化されたガイドラインは未だ発表されていていません。つまり、「この条件なら手術」「この条件なら保存療法」といった明確な基準があるわけではありません。
そのため、手術を選択するかどうかは、年齢だけではなく、跛行の程度、活動性、性格、住環境、半月板損傷の有無、OAの進行状況などを総合的に判断する必要があります。
当院では、次のような場合に手術を推奨しています。
- すでにOAが発症しており、今後も長期間活動することが予想される場合
- OAが明らかではなくても、若く活動性が高い場合
- 年齢にかかわらず、走ることや激しい遊びが大好きな場合
- 保存療法を行っても、2か月程度で十分な改善が得られない場合
- 保存療法による安定化が期待しにくい基礎疾患を有する場合
- 重度の半月板損傷など、保存療法だけでは十分な改善が期待できない場合
一方で、高齢で活動性が低く、日常生活でそれほど高い膝の安定性を必要としない犬では、保存療法が適した選択肢になることがあります。
前十字靭帯断裂=TPLO、ではありません
前十字靭帯断裂に対して、TPLOは安定化力の非常に優れた治療方法の一つです。
しかし、優れた治療方法であることと、すべての犬にTPLOが必要であることは同じではないと考えています。
前十字靭帯断裂を起こしてしまった場合、
「どのくらい走るのか」
「どんな遊びが好きなのか」
「どのような住環境で暮らしているのか」
「これからどのような生活を送りたいのか」
によって、必要となる膝の安定性は変わるはずです。
例えば、活発に走り回る若いコであれば、より高い膝の安定性が必要となるため、手術による治療が適している可能性が高くなります。
一方で、ゆっくり散歩を楽しむ高齢のコであれば、手術侵襲は避ける事も大切です。保存療法によって得られる安定性でも、十分な生活の質を維持できる可能性にかける事もできるはずです。
つまり、前十字靭帯断裂の治療で最も大切なのは、
「手術をするか、しないか」ではなく、
そのコがこれからどのような生活を送るのか、その生活にどの程度の膝の安定性が必要なのかを考え、そのコに合った治療を選択することと当院では考えています。
前十字靭帯断裂=手術
前十字靭帯断裂=TPLO
という画一的な考え方ではなく、保存療法、TPLO、関節外法など、それぞれの治療方法の特徴を理解した上で、愛犬にとってどの選択が最善なのかを考えることが重要と思います。
手術をする選択にも、手術をしない選択にも、それぞれに悩みや不安があると思います。
この記事が、前十字靭帯断裂と診断された愛犬とご家族の方が、治療方法を考える際の一助になれば幸いです。
まとめ
- 犬の前十字靭帯断裂は、自然に元の状態へ戻るわけではありません。
- 手術をしなくても歩けるようになるコがいます。
- ただし、膝の不安定性や跛行が残ったり、OAの進行は起こります。
- 保存療法では、体が作り出す自然な安定化を利用しながら、痛みや炎症を管理します。
- 手術をするかどうかは、年齢・体格・性格・活動性・住環境・半月板損傷・OAの状態などを総合的に判断することが重要です。
- 前十字靭帯断裂=必ずTPLO、というわけではありません。
- ご愛犬がこれからどのような生活を送るのかを考え、その生活に必要な膝の安定性から治療方法を選択することが大切です。
付録:OAについて
手術をしない⇒不安定性が是正できない⇒自己修復能が追い付かない⇒慢性的な炎症の持続
によってOAは発症します(OAの詳細はコチラ)。
OAに関する図説を掲載しますのでご参照下さい。








